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2013.10.14.(月)
ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話
第22回 「土俵いろいろ、人生いろいろ」(2013年10月14日)

週刊コラム 時事問題をネオ・ディベートでひも解く
相撲の鬼・ひろ☆たかさわのディベートちょっといい話 第22回

今回のお題は「土俵いろいろ、人生いろいろ」

こんばんわ

スポーツの秋、
涼しくなってジョギングにはいい季節ね。
小出リュウキ氏も
東京競馬場前で記者団の質問にこたえ、
「毎日5キロくらい走ると、
肉体もしまってくるし
ココロもカラダも気持ち・・・いいよねぇ(「いい」を強調する独特の言い回しで)」
と、健康をアピールしている。

ところで、
BMでなじみの人が引退し土俵を去った。
大相撲で元小結の高見盛(たかみざかり)。

10月6日に断髪式が行われた。

断髪式というのは、年寄名跡を取得した引退力士が
土俵上でいわゆる髷(まげ)にハサミをいれてもらい切りおとす儀式。
本当の土俵との別れを意味するのね。

高見盛は、「角界のロボコップ」と呼ばれ
その「制限時間いっぱい」のときに塩をとる前のパフォーマンスは
国技館を沸かせ、
若貴などの人気力士が引退した後の土俵を支えた立役者といってもよい。

そのパフォーマンスはBMディベートでも受け継がれ、
試合前に、カラダをバシバシ叩いて気合を入れるディベーターが
試合場を沸かせていた。

ディベートでは、論理や試合前の準備がもちろん重要だが
試合場での気合、情熱、エンターテインメントが勝敗を分けるという
BM流の教えなのよ。

高見盛は、このパフォーマンス、
実は、観客を沸かせようとか目立とうと考えてやったわけではない。

自分の恐怖心やけがのトラウマから断ち切るための
自分を奮い立たせる儀式なのよ。
その証拠に、土俵の外では一切やらないそう。
だからゆえに、その迫力や想いが観衆の胸をうつ。

相撲の立ち合いというのは、一瞬で勝負を決める、
肉体と肉体のぶつかり合い。大けがのリスクもある。
相手へ飛び込むその決意を奮い立たせる必要があるわ。

高見盛は、決して大きいとはいえない体で、
そして、華々しいとはいえない経歴で闘ってきた。

格闘評論家のアントニオ・リュウキ氏は、冷静な口調で、
「これは、多くのひとが知らないことですが、
高見盛も幼少時代にいじめにあったりして、その悔しさであそこまで強くなった。
同郷の若の里や武州山と、俺たちが土俵を盛り上げようと誓った。

やる気と情熱があれば何でもできる。想えば叶うのです。」
と述べている。

また、「土俵」といえばディベートなのよ。
肯定側が「議論の土俵」をつくり
否定側はその土俵にあがって闘わなくてはならない。

太田龍樹の著書 『なぜ、あの人の「主張」だけ通るのか?』(フォレスト出版)
に「議論は、同じ土俵で主張しなければならない」とある。
これができて、はじめて議論がかみあう。「受けの美学」に通ずる。

「哲学」は真っ向からぶつかり合うが、
言葉の定義を明確にし、お互いに定義を合わせ、相手との違いを明らかにし
そこからでる議論の優劣を論ずる。

BMディベートでは、否定側の土俵もつくっていくのね。
ただ単に肯定側の土俵で否定するのでなく、
否定側の土俵で、議論を否定する「デメリット」という土俵をつくり
肯定側もそこへ上がっていく。

でも、最後は「大事な争点」が絞れてきて
ひとつの土俵になっていることが多いのよね。
それを、第三者にわかるようにすることの重要性がわかるわ。

ひとの話を聞かないで、
自分の言いたいことだけいってるひとが多いのよね。
とくに、会社の会議とか議題が決まっている場合には
この土俵を意識してそこで議論することが重要なのね。

現在、米国債務上限問題を10月17日に決着させないと
米国債がデフォルト(債務不履行)になるという事象がおきている。

国がデフォルト、つまりつぶれることなんて絶対にと思うかもしれないけど
まだ決着してないのは事実。

ねじれになっている上院、下院において
政治的な駆け引きで、ギリギリまで同じ土俵にあがらないみたいね。

米国民の社会保障や、最大の債権国である中国に多大な影響を及ぼす問題だけに
いいかげんなパフォーマンスはやめてほしいわね。

それでは また

BY ひろ☆たかさわ

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