講評

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論題

ディベートマニア・カーニバルシリーズ 11月第3試合
「日本の小・中学校は週5日制を変更すべし」

講評:井上晋

肯定側:まほ龍∞賢゛一郎(太田・本間)
否定側:POLESTAR(奥山・久保田)
【試合結果】:肯定側勝利
ジャッジ総数 12名
肯定側61.02P(12票) 否定側 51.71P(0票)

試合は、本間の落ち着いた語りからスタートする。決してスマートな語りではないが、その表情からは、自身の論に対する自信が感じられる。その自信も手伝い、スピード、構成、ラベリングどれも適度な聞き取りやすさと理解を促すものであった。 「比較優位」の構成を採用し、社会格差、家庭の負担、学校秩序の崩壊、健全な青少年(メンタルヘルスの低下)を改善するというメリットを4点打ち出してきた。
プランは、シンプルに、6日制への移行とそれに伴う、年間70時間の授業時間の増加の大きく2点。しかし、ここにゲームを決定付ける大きな複線があったことは、私もゲーム中盤まで気付かなかった、、、。

否定側尋問も同様に静かに始まりそのまま終了した感があった。論点の確認に終始した。唯一反駁の兆しになるかと想われた、総合学習の時間数に対する尋問も時間をかけた割には、その後有効に機能しないこととなる。

■<起章 正当な反対とズレの始まり>
否定側立論は、非常にオーソドックスなスタイル。メリットについて丹念に攻撃した後に、デメリットを立証するスタイルを採用。ただし、格差については、説明が不明瞭でいまいちな感じを受け、メンタルヘルスについては、言及なし。家庭の負担と学級崩壊については、独自のデータからの反証が行われた。特に学級崩壊については、ゆとりがなくなることから(特に教師の側から)学級がさらに崩壊してゆくことを強調しこの部分は、確実な反証であると受け取った。しかし、これが、勝負を分けた肯 定側のプランにより、大きく覆ることになるとは、、、。

■<転章 先入観の崩壊>
「我々のプランは詰め込み教育という認識ですか?」 「はい」 
「違いますよ、我々のプランは、ゆとりを推進するものですよ」
このやり取りを聴いたとき、正直混乱した。週6日制への復帰は、詰め込み教育への回帰ではないのか? しかし、それは、完全に先入観であった。現在の文部科学省の施策は、授業時間(出校日数)と授業内容の双方の削減である。確かにそうだ。週6日と聞いてすべて、これらを戻すと想定していたが、肯定側のプランでは、戻すのは授業時間だけで授業内容は削減のままである。
た、確かにプランでは授業内容の増加は言及していない。肯定側がプランでこのことを明確にしていれば、、との思いもあったが、やはり聴く事の重要性(傾聴力)を再認識する。おしい、実におしい、否定側尋問で少しでもここが確認されていればと思う。

これにより、否定側が優位であったメリットに対する反証事項は、あっさりと崩れる。詰め込み⇒学級崩壊というロジックだったからだ。また、有効であると思われるデメリット「現場のゆとりがなくなる」も、効果的ではなくなる。

■<結章 明暗>
前提の崩壊により、否定側立論はまさに機能不全に陥った。逆に、肯定側はかさにかかってこれを攻めまっくった。まさに明暗。相手パートを飛ばしてまで、反駁に駆け出そうとする本間と現場を教師と置きなおしながら、また、完全なニューアーギュメントとなる、「フロンティア政策」などを出し、少々ちぐはぐな反駁を試みた久保田とが対照的であった。こうなるとナイト久保田の独特のトークもやはり胡乱くささがでてくる。

■<終章 消せない想い>
完全な逆境からの否定側最終弁論。述べられた内容は、当初の哲学や立論での反証内容からは、完全にかけ離れたスポット的な攻撃に終始した。しかし、その内容とは裏腹に、奥山の発する一言一言は、非常に私の心を打った。なぜだ? おそらく、自分たちの敗北を感じながらも、ディベートマニアにかける彼の熱い思いが、ファイナルに残りたいという強い信念が、一つ一つの言葉に重みと真剣さを与えたからではないだろうか。
試合結果に影響が及ぼすまでには至 らなかったが、私はこのパートに非常に高い点数をつけた。これもまたディベートではなかろうか。

先入観を捨てしっかりと聞くこととエトス(信頼感)について強い気付きを発した試合であった。

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