講評

講評

論題

BM Debate GrandPrixⅢ 決勝
「日本の小学校は、英語教育を必修化すべし。是か非か?」

講評:高澤拓志

肯定側:久保田 
否定側:奥山
【試合結果】:否定側勝利
ジャッジ総数 140名
肯定側(47.25P) 否定側 (52.06P)

■<概要>
10年後の日本を見据えた教育を掲げ、早期抜本改革の必要を訴える肯定側に対し、今後の日本に必要なのは英語ではなく、むしろ国語であると訴える否定側。論証エビデンス、そこからにじみ出る言葉のチカラが勝敗を分けた。

■<肯定側立論>
教育の重要性 10年後を見据えたものであるべき
少子化による労働力不足 → 外国人労働者の増加
コミュニケーションに英語が必要
しかし、1.3%のひとしか使いこなせていない(厚生労働省のアンケート)

プラン
1 開始学年は段階的
  当初は5年生から 4年後に見直し
2 総合的な学習の時間を活用
  年間35単位
3 体験、歌やゲーム 意思疎通を中心
  学級担任・ALT(外国語指導助手)を活用

メリット
1 日本国にとってのメリット
  英語力のアップ
  吸収力の早い幼少期から英語に触れることができる
  自意識が醸成されるまえに学習する
  (唐須教授のエビデンスを引用)
  
2 小学生(児童)本人のメリット
  義務教育の機会均等化
  平均13.7単位 23単位以上が17%、11単位以上が56% 学校ごとでまちまち

3 保護者にとってのメリット
  保護者のニーズに応えられる
  文部科学省のアンケート 67%が賛成(7%が反対)
  義務教育は、保護者の義務

教育の理念(10年後の日本)を掲げてメリット3点は、分かりやすい構成である。

■<反対尋問>
振り返ると奥山は的確に尋問を行っていった。久保田は答えに窮する場面が多かった。
本当に日本国で英語が使われているのか? 
英語が全員に必要なのか?
保護者のニーズに応えることが英語力アップと関係あるのか?
目標設定があるのか?
肯定側のエビデンス(唐須教光・慶大教授)は外国環境の場合で日本では通用しない

■<否定側立論>
哲学 国語力の強化こそが日本が国際化社会で生きる唯一の道である

20年後の社会は少子化、グローバル化が進展している
よって、英語の重要性は認める
しかし、他国を受け入れるだけでなく、伝えることが国際化
論理的思考、自己の確立、外国語の習得には母語の習得が大事

デメリット
1. 英語力はアップしない
(1) 膨大な時間がかかる
   TOEIC200→730にするのに2000時間かかる
(2) プランは非効率
    1947年の教育指導要領、毎日1時間が最適
    プランでは週に1.5時間しかできない
(3) 教員の質に問題
    今の40万人の教員でどれだけ効果的な教育ができるのか?

2. カリキュラムの硬直化が起こる
 学習時間を英語にとられる
 総合的な学習というのは、柔軟に対応できるのがメリット

■<反論>
・ 今行われているのは英語教育ではない
  外国語教育(国際教育)の一環 英語に特定するわけではない。
  穴のあるプランを作っておいて、それを埋める(マッチポンプ)に過ぎない

単に肯定側の否定ではなく、国語力強化というカードをきってきた。
なぜ国語力を強化すべきなのかの説明はなされているが、 国語力強化によるメリットの論証という形では行われていない。
ここは、「単に否定するだけにとどまらなかった」という意味で、「英語より国語」は分かりやすい論であるが、一歩間違えると、誤ったカウンタープランの使い方と採られることもあるので要注意

■<肯定側尋問>
スライドを使い、現状で英語活動が93%あることを示しながら 現状のままでよいかどうかを否定側に問うたが、切れ、迫力ともいまいちであった。
もう少し、後につながる革新的な部分を聞いていくべきだった。

■<否定側反駁>
争点を
・本当に英語力がアップするのかどうか?
・もし1時間あったら英語か?国語か?
の二点に絞った

早期英語教育の効果について
・会話重視は新しくないし効果はない(資料を用いて)
・肯定側のエビデンスはバイリンガル教育(外国環境)であり、証明になっていない
また、国語教育の効果について
 資料を用いて。諸外国より日本が国語教育について時間数が少ないことを示した
 生きていくのに本当に必要なのは国語である(英語ではない) ←具体的な論証はない

■<肯定側反駁>
・プランは総合的学習の時間を使うので
 英語か?国語か?という議論ではない
・英語は重要である、現状の英語力は低い(立論で述べた)
 93年、02年の改革でも「コミュニケーション重視の英語教育」の成果が出ていない
  → 抜本改革は必要
なにも、ペラペラになることを目標としていない
「英語に触れる、関心を持つ」ことが大事

■<否定側最終弁論>
肯定側の目標設定がなされていない
英語力があがることが証明されていない
実体験として、ブラジルで海外駐在員をしたときの英語習得に関する苦労を披露
血のにじむような努力、英語学習をなめないでほしい
提案として、全員一律をやめる(ゆとりがないから、難しいから)
モチベーションの高い、どうしても必要な人間にリソースを割り振る
小学校ではその分国語をやるべき
それは、すべての学科の基礎を作るものだから

<肯定側最終弁論>
英語教育の導入→国語力がさがることは証明されてない
英語学習が大変だから、早くからやるべき
硬直化はしない → 総合的な学習を地域にあった形で
今後少子化に向かう中で、共通語英語が必要
アジアの中でも低い英語力
まずいと気づいたときには、そこから10年、20年かかる
教育というのは、時間がかかるもの
何より 、苦しむのは小学生自身。

■<総評>
肯定側は、教育の本質は将来を見据えた長期プランであるという理念に基づき
今動かなければなにも始まらないということを訴えた。
ただし、なぜ小学生からなのか、なぜ必修かなのかという証明が曖昧であった。
「何もしなくて良いのか?」に終始した感がある。

一方否定側、英語の必要性は認めながらも国際化社会で必要なのは国語であるということを軸におき、デメリット2点を資料を用いて丹念に証明していった。
反対尋問反駁とも言葉に迫力があったし、最終弁論では自分の体験談を用いて英語学習の難しさを訴えた。これは観衆の胸に響いた。
ただし、これは小学校教育の必修化の是非であり、国語教育の増強はある意味カウンタープラン (カウンタープランとは、現状の問題点を認めた上で新たにプランを提示して、その効果を証明するやりかた)。
また、最終弁論での「必要な人だけにやらせる」というのはニューアーギュメント(途中から新しい議論を出すこと)である。
ここを、肯定側久保田はもっと切り込んでもよかった。(奥山のディベートの組み立て方に対する切り崩し)
たしかに、「英語か?国語か?」という議論ではなく
「小学校で必要か? 必修化すべしか?」を争点にすべきだった。

肯定側は、
小学校からというところのエビデンスについて、返された。
また、必修化という点について「総合的学習を使う」という点もあいまいだったと見える。
いまいち、いつもの久保田と比べて尋問・最終弁論とも力強さがなかった。
勝負は否定側奥山の勝利。

以上

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