講評

講評

論題

BM ディベートマニアⅤ  ファーストバーニング
「論題:昔の恋人の写真、捨てる?捨てない?」

講評:井上晋

捨てる側:久保田浩
捨てない側:奥山真
【試合結果】:捨てる側勝利
ジャッジ総数 106名
捨てる側 (64票) 捨てない側 (42票)

■<概   略>
捨てる側は、写真を持ち続けることにより「執着心」が生まれ、次の恋の妨げになることを主張。対する捨てない側は、過去をすべて自分に取り込むことが、魅力的な人間になり、次の恋を成功に導くと主張した。
どちらのが、その人の次の恋愛を幸せにするのかを競うディベートとなった。
さて、どちらが恋愛のつわものか?

■<捨てる側立論>
◇前提:写真は、過去をビジュアルで記録するもの
    恋愛は、二人で行うもの
◇メリット
 M1. 自分(本人にとってのメリット)
  前の恋愛への執着心がなくなり、次の恋愛に進める。
 M2. パートナー(新しい恋愛の相手にとってのメリット)
  写真を持ち続けられると、自分を否定されていると思い、苦しむことになる

スマートな久保田らしく、淡々と恋愛論を説いた。
M1については、「捨てる哲学」からの引用で、心のなかで捨てることと、実際に捨てることの違いを立証。観念の世界で終わらせないという主張は説得力があった。
また、M2については、アンケートデータより、半数以上のパートナーが昔の恋人の写真を持たれていることを不快としているとことを説明。アンケートの母集団に問題がありそうであるが、「相手を想えない人は、良い恋愛ができない」という主張には、久保田の魂が見え、エトスを感じさせた。

■<否定側尋問>
奥山の尋問は、まず双方の恋愛感の違いを確認することからはじまった。分かりやすい、滑り出しだ。「終わってしまった恋にも良い部分があるのではないか?」、「思い出は大切なものではないか?」。これらの質問を久保田が正面から否定し、双方のスタンスの違いが明確となった。
ただし、久保田の主張する「執着心」を定量化させようとする尋問は、この論題の趣旨に合わず、逆に奥山の恋愛論を小さくしてしまったように思われる。

■<捨てない側立論>
◇哲学:すべての恋愛を受け止めることは、その人の恋愛力を向上させる
    そして、過去の恋愛経験は、その人の恋愛バイブルになる
◇捨てないことのメリット
 M1.魅力的な人間になれる
 M2.他人を受け入れる人になれる
カジュアルな服装での登壇。何時になく、爽やかな奥山がいた。
「失敗したとはいえ、全力を尽くした恋愛は自分そのものではないか。」その自分を写真と共に捨ててしまうことは、自分を否定することになるという主張を展開する。常に悩みながら、前進をしてゆく奥山らしい主張だ。しかし、写真を捨てること=過去の自分を捨てること、になるのか? やや飛躍があるのではないかと感じた。
久保田のいう「執着心を捨てる」ことと奥山のいう「自分を否定すること」これがどこまで結びつくかが、ポイントとなりそうだ。
◇メリットへの反論
 M1.執着心がなくなることに対して
  やはりここでも、定量的な否定をおこなう。
  重要なポイントではあるが、論題とのギャップを感じる。
 M2. パートナーの不快感に対して
  ずばり、データの信憑性をとい、20歳代女性だけのアンケートということから
  一般的な主張になりえないことを立証
  効果的な反証であった。

■<捨てる側尋問>
1.5分という限られた時間のなかで、やや散発的な尋問であったが、奥山の主張の軸となる「捨てる=自分を否定」の論理的なつながりを検証してゆくこととなった。
「写真を捨てることは、過去の自分から逃げていることか?」、「写真がないとありのままの自分を出せないということになるのか?」これらの尋問にYesと答えた奥山であったが、なぜ??という疑問を多くのオーディエンスに感じさせたのではないか。
後半に向けての、反撃の素地を上手く作ったといえる。

■<反駁~最終弁論>
奥山は、思い出が重要であることと、70%の人は半年以内で失恋の痛手から立ち直っていることを主張。それゆへに、執着心の代償として、写真=思い出を捨てることのほうが、デメリットが多いという論を展開してゆく。
苦い思い出も含めた蓄積こそが、次の恋愛をよりHappyにすると哲学に繋げていった。
一方、久保田は、奥山の「捨てる=自分を否定」の論理飛躍を攻撃しながら、思い出は、次の恋愛の妨げであることを主張。
最後には、自身の経験を語りながら、観念ではなく、物理的に捨てることが、次の恋愛の一歩になることを力説した。

■<判定と総括>
BMで初となる、恋愛論ディベート。
双方とも、誠実な恋愛を経験してきたのであろう。まっすぐな恋愛論は、聞いているものを清々しい思いにさせた。
しかし、ここはディベート。二人の論に優劣をつけなければならない。
判断の基準は、どちらがより、次の恋愛で幸せになれるかというところだ。ここは、双方とも一致している。
奥山の主張は、経験の蓄積による恋愛力のアップ。久保田の主張は、過去の恋愛への執着心を捨てることが、次の恋愛をより幸福にするというもの。
ここで、奥山の主張である、経験の蓄積という論理の裏には、写真を捨てること=執着心を捨てること=過去の自分を否定することという、ロジックがある。
しかし、久保田からの尋問、そして反証で指摘された通り、やや無理の有る論理展開であろう。「執着心」とは、過去の恋愛にまだ心が捕らわれている事であろう。キーワードとなった「執着心」に対する明確な定義と攻撃がなされなかったのが悔やまれるが、ジャッジとして、このように判断をした。
そうであれば、執着心を捨てること=自己否定 にはならないはずだ。
また、奥山の主張が恋愛論を抜け出し、人間論になってしまっていた点も、すれ違いの原因となったのではないか。
ジャッジとしては、「論題充当性」と「論の展開」を重視し、久保田の勝ちとした。
最後に、人間の心の機微をもディベートで扱えることにチャレンジし実践したということで非常に価値の有る試合であったと感じた。

以上

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