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2017.2.4(土)
アビコ青年のディベート事件簿
File54「ともすれば、窮屈な時代だからこそ…」(2017年2月4日)

ほぼ月イチコラム アビコ青年のネオ・ディベート事件簿 file 54
本日のテーマは「ともすれば、窮屈な時代だからこそ…」です。

■「有給取得には理由が必要」で炎上
就職情報サイト「マイナビ」が掲載したある記事が、
炎上騒ぎになって削除されました。
その内容は「有給休暇をもらうには常識的な理由が必要」というものです。
「寝坊したから」「やる気が出ないから」といった理由を、
「ただのずる休みと変わらない」と否定的に紹介して、
「有休を取ることは働く人の権利ですが、常識ある使い方をしたい」とコメント。
これに対して、ネット上では
「有給休暇の権利行使に理由も何もない」といった批判が相次ぎました。
結果、マイナビも「法的趣旨を誤解させる表現」があったとして、
該当記事を削除しました。

■正論は通る?通らない?
確かに、法的には会社に有給取得の理由を伝える義務はありません。
ですが、新社会人が杓子定規に「有給下さい!」と言ったらどうでしょう?
例えば、昔ながらの日本企業体質な会社であれば、
「ちゃんとした理由もないのに、なぜ新人が休むんだ」と思われかねません。
実際に(残念ながら)、そういう会社は星の数ほどあります。
それが法的に正しいか間違っているかではない側面も無視できないのが現実です。
もちろん、私自身は「とにかく理由を言うべき!」などとは思っていません。
理想は、変な遠慮なしに休む理由を言える環境です。
「お休みを頂いて、旅行に行きたいんです」
「そうか、旅行に行くのか、それはいいね。どこに行くの?」
「温泉旅行を計画しています。仕事がひと段落したので、リフレッシュもかねて」
「それはいいね。草津はお勧めだよ」
何ともべたなやり取りですが、
これこそ血の通ったコミュニケーションだと思うのです。
法律を盾に壁を作りあうような関係は、お互いに不幸な気がします。

■正論に翻弄される現代
過労死、ブラック企業、淫行事件、公務員の不祥事・・・。
ニュースで目にしない日のほうが少ないほど、日常化している問題です。
そんな現状への対応策として、
「パワハラ」「セクハラ」を根絶しようとする機運が高まっています。
ついにというべきか、ようやくというべきか。
いずれにしても、社会が正常化する流れは大歓迎です。
その一方で、言葉の極端な解釈が、
何とも堅苦しい世の中を生み出しているようにも感じます。
まじめで気の優しい上司ほど、
「セクハラ」「パワハラ」という言葉におびえています。
「自分の言動が、部下からパワハラと言われたらどうしよう・・・」
そんな感情に支配されているのが伝わってしまうほど、
ご自身の言動を自らしばりつけている方も身近にいました。
(本来そういう方は、セクハラもパワハラもしないのですが・・・)
その弊害として、「適切に部下を指導ができない」問題も生じています。

■だからこそ、人間的魅力が必要
言葉が生まれることで、これまで隠れていた問題が顕在化します。
「パワハラ」「セクハラ」はもちろんのこと、
最近では「マタハラ」などという言葉も出てきました。
その言葉のお陰で、社会の認知度は一気に高まります。
一方で、何か気に入らないことがあると、
便利な言葉として「パワハラ」「セクハラ」を使って相手を否定し、
自己防衛に走らせてしまう風潮も生まれます。
言われる側(多くは上司・先輩)は、社会的なレッテルを貼られまいと、
自己規制に追い込まれる可能性もあります。
そんな時代だからこそ、やはり「人間的魅力(エートス)」です。
「この人がいう指摘だから、真剣に話を聞こう」
そう思わせられる自分かどうか。
「安易な発想で他者を否定して、自己防衛していないだろうか?」
指摘の受け手にも、批判を受け入れる度量があるのかどうか。
社会が成熟するがゆえに、人間が窮屈になってしまう。
そんなジレンマを解消する答えの一つは、やはりエートスなのです。
ネオ・ディベートが大切にする基本姿勢、
それがアリストテレスの提唱した「コミュニケーションの三要素」です。
その神髄は時空を超えて、現代社会の本質をあぶり出す不変の真理です。
一連の騒動に思うこと。
それは、我々は時代に左右されない本物のコミュニケーション力を、
これからも追及していく団体であり続けよう。
そう思う出来事でした。
以上

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以上、アビコレポートでした。

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