論題
BM D-1 GrandPrix Ⅱ 予選1試合
「論題:東京都は、都立病院改革マスタープランを実施すべし」
講評:中西夏雄
肯定側:ディベーターA
否定側:久保田弘
【試合結果】:否定側勝利
ジャッジ総数 14名
肯定側 34.56(0票) 否定側 51.45P(14票)
■<概 略>
安全と安心の核とした患者中心の医療へ。マスタープラン(以下M.P)によって、医療の質、満足度、財政面が向上するとする肯定側。
それに対し、M.P実施は、そんな効果はおろか、患者、つまり都民に対する医療の質低下、そして多大なコスト負担増を強いるとする否定側。
順調な滑り出しを見せた肯定側だが、徐々に暗雲が立ち込める。スピーチとディベートの違いを強く感じさせる試合となってしまった。
■<肯定側立論>
◇哲学・理念:『患者中心の医療』
◇プラン1点:
┗都立病院改革マスタープランの実施
◇メリット3点(以下M①などと表記する)
┣①医療の質向上
┣②都民の満足度アップ
┗③都の財政面改善
偏在した医療資源(医師、機材)が集約されることでM①が、医療技術の集約による高度・専門化によりM②が、効率性を高める、病院再編でムダ、重複をなくしM③がというもの。都立病院、都民、そして都政という立場から述べ、登場人物全員がハッピーとなるというメリットの伝え方はわかりやすい。
しかし、M.P実行が前提条件となっているとはいえ、プランのどういう部分が作用してメリットをもたらすかはもう少し伝えてもらいたいところ。そしてデメリットが想定されやすい論題であるため、M.Pを実施する必然性が欠けていたことは痛い。
■<否定側尋問>
やはり、効率化の必要性に疑問を投げかけ、プランの実効性、つまりどうやってプランがメリットに結びつくのかを厳しく追及する。
■<否定側立論>
◇哲学・理念:都民へのデメリットを生むM.Pは実施すべしでない
◇肯定側メリット攻撃
◇デメリット4点
┣①医療の質低下
┣②個人の医療費負担増
┣③個人の間接的コスト増(交通費、病院への距離など)
┗④M.Pの実行コスト 814億
まずメリットを潰しにかかる。M①②は、医療資源の集約によってもたらされ、資源の集約のためには民間、他公立病院との連携が欠かせないことを指摘。しかし、その連携はできないことを主張していく。尋問パートが活きてくる。すなわち、病院は広告規制があるため、患者は病院選択の情報収集ができず、どこに行けばよいかわからないからだと。
しかし、病院選択ができないこと、都立・民間病院の連携が取れないことの関係について、納得できるだけの立証はし切れていない。
次にデメリット。D①は入院日数の削減を例にあげ、なんとコスト削減のメインであることを主張する。
D②は、一次医療に当る患者は、民間での受療を余儀なくさせられるため、医療費負担増にもなっていく。
D③は、統合される小児病院3院を例に、この3院で32万人/年の利用者がいることから、深刻性を主張する。うまい!D④はラベル通り。
デメリット潰しは、何点目のメリットへの指摘かわかりづらく、また少々潰しきれていない感もあったが、肯定側の立証の粗さは露呈された格好。またデメリットは十分立証されたものと判断した。
■<肯定側尋問>
パートとしては、M.P実施の必然性をジャッジ、オーディエンスに知らしめるチャンスだったが、言葉の定義が曖昧な尋問が多く、否定側も答えようがない状況。逆に肯定側の焦りが見え隠れするパートとなってしまった。
■<否定第一反駁~最終弁論>
否定側反駁は、肯定側からの尋問が失敗に終わったため、どうしても反駁、最終弁論とも立論の繰り返しに近い形となってしまう。しかしそれが否定側の主張を余裕を持って訴えることとなり、より強固に。これにより、肯定側は思考停止状態に陥ってしまい、反駁を通じて最終弁論まで述べることができない。思わず「がんばれ、ムラ!」(肯定側 ディベーターAの通称)と心の中で叫ぶ。しかし、反駁で致命的ミスを犯してしまう。それは、現在、小児科は減少傾向ということをエビデンスまで使って証明してしまい、否定側から、ここぞとばかりにターンアラウンド、M.P実行でなぜ減らすのか、と攻撃の的を作ってしまった。
これらにより、誰の目にも結果は明らかなものとなってしまった。
■<総括>
M.P実施の是非に関するコメントは、第2試合以降の講評に譲るとして、今回感じさせられたのは、スピーチとディベートの違いである。
1年のブランクを経て復帰した肯定側 ディベーターAは、登場からオープニングの立論まで、大きな可能性と大きな期待を抱かせる滑り出しであった。しかし、パートが進むにつれ、本人にとっても、ジャッジ、オーディエンスにとっても期待していたものとズレてしまった。
この原因は、事前準備したものを、自ら仕掛けていくことのできる肯定側立論というスピーチにも似たものと、尋問という突っ込み、相手側主張を受けての反駁というインタラクティブがあるディベートとの違いによるものであり、残念ながら肯定側 ディベーターAが後者をやり切れなかったということであろう。
しかし、このように文章で書くことと、実際に、それも人前でやるということは、もっと大きな違いであり、読者の皆様にはそのことを十分ご理解いただきたい。
そして、途上から1合目へ、そして2合目に向けまた途上へと、必ずや肯定側ディベーターもその途上にあるとサブジャッジである私は信じている。